沈む夕日
幼い頃ガチャガチャが欲しくて駄々をこねた。
スーパーの店先であまりに泣き喚くものだから、母は怒って「もうひとりで帰りなさい!」と私をその場に置いて行ってしまった。
駐車場から走り去る車を見て、「ああ、本当に行ってしまった。歩くしかないな。」と思った。
母としては、店のまわりを一周して、少しお灸を据えるくらいの気持ちだったみたいだが、小学2年生で自宅から10km近く先の土地勘のない場所に置き去りにされたことはなかなかにショックだった。
それでも、当時はまだ負けん気の強かった時期だったので、スタスタと歩みを進めた。
実家と真逆の方向だったのは運が悪かったけれど。
1kmほど歩いたところに親戚の家があった。
一階が店舗で、二階が自宅。
店頭でおじさんに「おうちはどこ?」と尋ねると、今まで進んでいた方向を示された。
この道で合っているか不安になっていた私は、大人の保証を得て意気揚々と歩き出した。
おじさんが示したのは、二階に上がる外階段の方向だったのだけれど。
後ほど二階に上がって私が訪ねていないことを知って目を丸くしていたらしい。
商店街のアーケードを抜ける。
住宅街に入る。
道ゆく人が少なくなり、だんだんとあたりは暗くなる。
歌を歌って自分を鼓舞するけれど、住宅街の突き当たり、その先に広がった暗闇を見て一気に涙が出た。
不安で不安でしょうがなかった。
泣きながら明かりのある方に向き直り歩く。
見知らぬおばさんが声をかけてくれた。
「あんたさっき自転車ですれ違ったけど、まだ歩いてるの?どこの子?どうして泣いているの?」
気にかけてもらえたことが嬉しくて、安心して、また涙が出た。
少し落ち着いて、実家の自営業の話をすると、おばさんは電話帳で探して電話をかけてくれた。
ほどなくして迎えがきたはずだけれど、その時誰が来たのかは覚えていない。
母は警察に届け出ていた。
子どもをほったらかしにしたことで怒られたと話していた。
時が経って、「あんたが聞かん坊だったから」と笑い話にされても、私の中のあのときの自分はまだ泣いていた。
子を持ち、親として接する中で、私は自分がして欲しかったことをしていることに気づく。
子どもを大切に思うと同時に、子どもに当時の自分を投影していることにも気づく。
「いい子にしなくても大丈夫だよ。そんなことで嫌いになんかならないから。辛かったね。もう心配いらないよ。大好きだよ。」
日常のふとした瞬間に、自分の弱い面があらわになるとき、私の中の子どもが泣いているのを感じる。
でも今は大丈夫。
大人になった私が、彼の痛みに寄り添って守ってあげることができるから。
あなたはあなたの価値観で生きていいし、周りに合わせすぎて摩耗するときや悪意を持って接してくる人とは私が戦ってあげられる。
人は自分の人生にしか変化をもたらすことはできない。
でもそれは、自分の人生に責任を持てるということでもある。
誰かの支えになれるように、だからこそ、自分と他者との線をちゃんと引けるように。
みんながそれぞれ内面に幼い傷ついた自分を抱えていることがわかると、世界はそんなに怖くないとも思えてくる。