Fate/Zero原作備忘録
虚淵玄氏の原作を読み終えた。
全6巻にわたるボリュームで描かれた世界に触れ、Zeroの世界に対する理解が深まったように思う。
Fate/Zeroはstay nightへと続く、ゼロに至る物語である。
結果として、登場人物は何も得ることなく終局へ向かうが、結末が重ければ重いほど、そこから繋がる希望の物語の意味合いもまた大きくなる。
間もなく「劇場版Fate/stay night [Heaven’s Feel]」 Ⅲ. spring song が公開される。
実は私はまだstay nightのゲームは未履修であるため、SN、UBWと見てきたアニメの結末がどのようになるのか、劇場で楽しみたいと思う。
さて、Zeroについて考えたことを、キャラクターの対比・類似点と各陣営の補足について、備忘録として記録することとしたい。
1 対比と類似点
① 対比
切嗣と綺礼
- 理想に殉じた男と理想を持ちえなかった男
- 妻から理解された男とついぞ理解されなかった男
ディルムッドとランスロット
- 愛と騎士道を秤にかけ、愛をとった男と騎士道に殉じた男。
- 聖杯戦争においては逆の願いを持つが、それもまた茨の道であった。
② 類似点
切嗣とセイバー
- 願望(何をしたいか)ではなく正しさ(何をすべきか)を優先し、絶望する。
アルトリアとランスロット
- ともに騎士王、理想の騎士として、かくあるべしと望まれ、理想に殉じた。
2 各陣営所感、アニメ版への補足等
① セイバー(アルトリア・ペンドラゴン)陣営について
- ケイネスの魔術工房であるビルの爆破騒ぎについて、事前にボヤ騒ぎを起こすことで他の客を非難させた点そのものが、すでに切嗣が情に流され以前通りの天秤を維持できなくなっていることの表れであった。
- 終始セイバーに語りかけない切嗣について、アニメ版では機能を優先せず感情的になっている点をもどかしく思っていたが、実際は、過去の自分に戻り切れていないことを自覚していて、セイバーのことまで気を回す余裕がないキャパオーバーの状態であった。
- セイバーは唯一死亡前に英霊となる契約が完了しているため、実体として英霊化しており、そのため霊体化はできないが、繰り返す聖杯戦争の中で記憶を次回に持ち越すことができる。
- 第四次聖杯戦争での願いは、「自身による」祖国の救済だったが、聖杯問答での葛藤及びランスロットのバーサーカー化(真意を知らず)の結果、カムランの丘に戻った際に、選定の剣をやり直すことで、「自分以外の誰かが王となる」ことを望むようになり、stay nightへと繋がる。
- 飛行機撃墜の際ナタリアが笑う描写はアニメオリジナルであるが、切嗣に魔術師殺しとしての才覚がありすぎたと語る時点で、ナタリアは死を覚悟していたと思われる。(私見)
- 対綺礼戦でタイムアルター・トリプルアクセルの負荷に肉体が耐えられたのは、アイリスフィールから譲り受けたアヴァロンの効果だが、あくまでも即時修復であり痛み自体は感じている。
- 対アーチャー戦でエクスカリバーを打たなかったのは、延長線上に聖杯があったから。アーチャーもそれを理解し、慢心していた。
- 第四次聖杯戦争においては、アーチャーの真名をセイバーは知らぬまま丘に戻る。
- アンリマユの現界を阻止するため、切嗣はエクスカリバーにより小聖杯を破壊したが、それがきっかけとなって大火災が起きた。これは、泥が出てくるのが実際は小聖杯の真上にあった穴からであり、本来壊すべきは穴だったが、それがわからず結果判断ミスとなった。
② ランサー(ディルムッド・オディナ)陣営について
- 初回の戦闘に対して、ソラウがケイネスを批判しているのは、ランサーへの恋慕からと見えるが、実際、ランサーの赤槍がバーサーカーに対して有効打であった点からすると、先にセイバー・ランサー共闘でバーサーカーを倒すべきというソラウの見解は魔術師としては正当なものであった。
- ソラウであれば、ディルムッドの魅了について抗うことはできたが、決められた運命に従うことをよしとしなかったソラウがあえて受け入れたため、魅了の効果が発揮されている。
- ケイネスの目的は秘術を尽くした魔術戦であるため、その時点から魔術師殺しである切嗣との相性が悪い。
- 失った両腕の自由を復活させた日本在住の優秀な人形遣い(奈須きのこ原作「空の境界」の蒼崎橙子)に対する莫大な謝礼が後のロード・エルメロイⅡ世の借金につながる。
- あれほど忌み嫌っていた拳銃を使う描写は、切嗣に罪を擦り付ける意味合いのほか、エルメロイの魔術師としての矜持が失われたことの表れでもある。
③ アーチャー(ギルガメッシュ)陣営について
- 聖杯問答の際は自然と上座に座る。ナチュラルに尊大。
- 友は一人(エルキドゥ)と決めていたアーチャーが、セイバーを妻に迎えようとしたのは両者に「人の身にあって人を越えようとした」「ヒトの領分を超えた悲願に手を伸ばす愚か者」という共通点があり、その破滅を愛するがゆえ。
- 時臣が桜を間桐の家に養子に出したのは、凛同様類まれなる魔術の才を持つ我が子が一子相伝の魔術師の家督を継がなかった場合、実験体として時計塔でホルマリン漬けになってしまうのを防ぐ思いやりの判断でもあった。
- アンリマユの泥を食らって受肉したアーチャーに対して、綺礼はアンリマユからの魔力供給にて生きながらえている。
- 時臣を刺殺したアゾット剣を凛に与えるというのは、葬儀の後に思い付いたアイデアであったため、持ってきた時点では純粋に「個人を偲ぶ」という目的の為であったことから、綺礼の歪さがうかがい知れる。
④ ライダー(イスカンダル)陣営について
- ライダーから褒められたウェイバー、実は物心ついてから初めて己の価値を認められた経験であった。それまでは、称賛されることに価値などないと思っていた少年に、人に顧みられることの価値を教えたライダーの存在はどれほど大きかったことだろう。
- Tシャツを通販でゲットしていたライダー。実はその前に読んでいた雑誌の巻末を確認して通販方法を学んでいた。好奇心が強く勉強家な面がうかがえる一幕。
- 魔力消費のない霊体化を好まず、基本的に実体で過ごしていたのは、一つの命として根を下ろしたいという信念の表れであり、聖杯への願いの伏線となっている。
- 聖杯問答における「王は孤高であるや否や」はセイバーとアーチャーの両名に対しての問い。回答したセイバーのみならず、アーチャーの中でも自明のこととして「王は孤高」であるため、回答しなかったに過ぎない。
- 書店において、ウェイバーが将来ロード・エルメロイⅡ世として魔術の理解・解体に突出した才覚を発揮する片鱗を見ることができる。キャスター戦でのヘタイロイの落下予測についても、マスターとして知っていたのではなく、時計塔での学習と初回発動時の観察による理解を反映したもの。
- 「真に尊い生き様」(4-p76)「卑屈さこそが覇道の兆し」(4-p79)は音楽劇「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 case.剥離城アドラ」の歌詞に反映されている。
- 魔術師は秘匿を旨とし、魔術工房を構えるという前提があったため、切嗣はウェイバーの居場所を突き止めることができなかった。(実際は経費削減のための間借り。)
- ウェイバーが留守にしていたお陰でマッケンジー家は切嗣から爆破されずに済んだ。「有能な魔術師なら犠牲を厭わないはず」という切嗣の過大評価が原因。
- グレン・マッケンジーの催眠が解けたことでウェイバーは自分の力量を恥じたが、同時に他者から嘲り以外の対象となるのも初めてだった。
- 対アーチャー戦での令呪三画消費は、気力以外にも魔力を充実させるという効果も発揮していた。
- 当初マスターであるウェイバーを殺そうとしたギルガメッシュを心変わりさせた時点で、それはウェイバーにとって唯一成しえた勝利であった。
⑤ キャスター(ジル・ド・レェ)陣営について
- 凛の冒険は純粋に助けられたのみであり、龍之介とのやりとりはアニメオリジナル。コトネを助ける描写もない。
- ある意味マスター・サーヴァントともに願いが叶っている幸せな一組。
⑥ アサシン(百貌のハサン)陣営について
- 綺礼の武装である黒鍵は、刃部分が魔力で作られているため、令呪の魔力を注入することで強度や大きさを変化させることができた。
- ライダーがアインツベルン陣営の城の結界を破壊したことで、アサシンも気配遮断したまま城内に潜むことができた。
- 綺礼は、妻の死の際一度は自覚した自身の欲望に気づかないように蓋をしており、記憶の混濁がみられる。
- 綺礼は「生きがい」という自身が求めた続けたものを既にいくつも得ておきながら、それを捨てる切嗣の愚かさに苛立っていた。それは終盤の聖杯についてのやりとりでも繰り返されている。
⑦ バーサーカー(ランスロット)陣営について